一通り撮影を済ませて巾着田を離れた。ふれあい広場から水車小屋、管理事務所に至る遊歩道は懐かしい里山という雰囲気。巾着田の界隈は思った以上に自然を楽しめる。コスモスの群生地には蜂やトンボが乱舞していた。蕎麦畑や頭を垂れた稲穂越しに日和田山を眺める。標高305メートルの低山ながら、山頂付近からはきんちゃくの形が俯瞰できるという。撮影機材を抱えたまま、ジーンズとスニーカーという軽装で山を登る。これが結構なアルバイトなのだった。この日は気温が高くて汗が滴り落ちてくる。登るにつれて岩場も出てくる。何だかすっかり本格登山の気分。一脚がトレッキングポール代わりに役立つ。やっとこさ金刀比羅神社に辿り着いて振り返ると、そこに巾着田の全景が広がっていた。
2012年9月アーカイブ
彼岸花のシーズンになった。去年は日向薬師を訪問したのだが、今年は(まだ行っていない)日高市の巾着田こそ本命と狙いを定めた。現地情報ではまだ五分咲きとのことで、ちょっと早い。見頃は来月4日くらいだろうか。しかし台風が来ているし、直撃コースに入ると花が薙ぎ倒される可能性もある。そうなっては無惨だから、天気が荒れる前に出撃することに。池袋から西武線に乗って高麗駅下車。駅から巾着田までは近隣の農家が臨時の店を開いていたりする。橋を渡って川原に下りた辺りで超望遠を構えた人達を見かける。カワセミ狙いのカメラマンだ。ここがカワセミの有名ポイントであることは知っていた。よほど望遠も持って来ようかと思ったが、マクロレンズと魚眼レンズもあるしQTVRの機材に、今日はE-5とE-1も抱えているので断念したのだ。しかしターゲットがいきなり飛んだ!そうなるとこちらも構えないわけにいかない。標準の望遠端は35ミリ換算で108mmに過ぎない。豆粒のようなサイズながらこれを撮影。
高麗川沿いの曼珠沙華群生地に移る。花はまだ蕾も多くてこれからというところ。しかし早咲きの群生地に到ると一帯が赤に染め上げられ見事だった。さすがに日本一と称するだけのことはある。ピークには密生して凄いことになるのだろう。まだ午前9時頃だが、続々と見物客がやって来る。JTB などのツアーも組まれ、カメラマンも混じって大変な賑わいだった。
発表されたばかりのXZ-2に触ってみた。オリンパスプラザ東京のショールームで開かれた新製品トークライブ。これも新製品のPEN Lite E-PL5/PEN mini E-PM2と共に展示されていた。XZ-1からどんな進化を遂げたのかが気になる。トークライブのXZ-2の回は写真家斉藤弘一郎氏の担当。それに先立って短時間だが手に取って弄ってみた。チルト液晶が組み込まれたこともあり、XZ-1に比べて微妙に重い。がっちりした軍艦部がついて精悍な印象。操作系で大きく変わったのが全面のコントロールリング。従来のデジタルコントロールに加え、アナログコントロールが追加された。マニュアル感覚でフォーカスとズームを操作できる。これはオリンパスからアンケートが来るたびに要望していたもので、それが実現されて嬉しい。ほかのユーザーからも「コントロールリングにもっと機能をつけて」などの声があったという。アナログコントロールでリングを回す感じは絶妙で、これには苦心したのだという。デジタルコントロールはカチカチとクリック感があって、前面に新しくついたレバーを操作してデジタルとアナログを切り換える。そのレバーの中心部分はファンクション(Fn2)ボタンになっている。タッチAFとタッチシャッターも搭載された。AFも速くなっている。センサーはXZ-1のCCDから裏面照射型CMOSに変更。ISO感度上限も12800となって暗部ノイズの処理も洗練されたという。オプションで色違いのグリップや防水プロテクターも用意されている。会場では斉藤氏がヨーロッパで撮影した黄昏のシーンが大伸ばしされていたが画質も1200万画素に上がってなかなかのものだ。定評ある明るいレンズもさらにチューニングされたということでは、当分買い物の予定もなかったのだけれど悩ましいのだった。
起床は午前3時半。1時間以内に身支度を済ませて出発したい。外はまだ真っ暗で、東の空からオリオンが上るところだった。寿命が迫ったべテルギウスをしばし見つめる。撮影するには高度がやや足りない。近くに三日月が輝いている。食事は尾西食品のエビピラフで済ませるが、これが結構旨い。後々の行程を考え早く出たいが初めての山なので夜明けを待った。5時15分出発。仙水小屋を過ぎ、樹林を抜けるとゴーロの斜面を左手に見ながら岩の上を歩いていく。北八ヶ岳のような雰囲気だ。仙水峠から眺める摩利支天が見事。ここから駒津峰までは前半の核心部分で急登が続く。昭文社の山と高原地図「北岳・甲斐駒」の標準時間2時間40分にほぼ沿って来ている。標高2750メートル。正面に中央アルプスと伊那谷を望み、左には北岳の三角錐、振り返ると富士山が頭を覗かせている。尾根道を辿って下ると鳥の鳴き声。木の枝にホシガラスが留っていた。やがて六方石に到る。巨石に寄り添って小休止。見上げると甲斐駒の山頂が圧倒的な存在感で迫ってくる。その傾斜の急であるのにたじろぐ。岩場に付けられたルートは遠くからは判別出来ない。直登ルートを行くか、巻き道かで悩む。先行者の姿に勇気づけられて直登を選択。はじめの岩場の取り付きが難関で足を置く場所に苦労。全身を折り曲げる感じで通過すると、後は目印に従って登っていくだけだ。谷川岳の西黒尾根相当の難易度だろうか。砂岩が崩れ易いので落石に注意する。9時55分、山頂の祠を拝んだ。標高2967メートル、360度の大展望を楽しむ。これが見たくてやって来たんだなあ。初めて見る南アルプス山脈。北岳、間ノ岳、塩見岳の勇姿。仙丈ヶ岳の優美な形も心を打つ。鳳凰三山の上に首を出す富士山。西には木曽駒ケ岳の後方に御嶽山の山塊。遥か彼方に北アと後立山連峰が雲の間に聳えていた。
甲斐駒ケ岳は憧れの山であった。中央本線に乗って松本方面に向かうと日野春から長坂、小淵沢にかけて南アルプスの山容が車窓左に迫ってくる。中でも鋭角的な独立峰として心に残るのが甲斐駒ケ岳だ。「あの山に一度登ってみたい」そんな思いを抱きつつ、アクセスのよい木曽駒や八ヶ岳、北アルプスの山行が先になってしまい機会を失っていた。
改めて検討してみると、甲府駅から広河原まで山梨交通のバスに乗り、そこからは南アルプス市営バスに乗り換えれば登山起点の北沢峠に到る。天候を睨んで日曜出発と決め、「ホリデー快速ビューやまなし号」の利用を考えていたが、新宿から伊那側の仙流荘までのバスがあると知ってこれに決めた。新宿西口を8時30分発だが、首都高に上がるといきなりの渋滞。ノロノロ運転が延々と続く。これが大誤算。事故渋滞により八王子ICで既に1時間半の遅延が発生。予定では12時40分仙流荘着。同45分発の北沢峠行きか、これを逃しても14時10分発の最終に乗車できるはずであった。接続が微妙な情勢。やはり休日の中央高速はリスクが大きい。JRにすべきだったか。運転手と交渉すると、諏訪湖SAで高遠方面の乗客を別の便に振り換えるのを諏訪ICで下ろし、乗り合いタクシーで152号線経由という方法に変更してくれた。岡谷JCTから伊那谷を回っていたんでは到底間に合わないという判断だ。この選択が功を奏し、辛うじて最終便に間に合った。伊那市の南アルプス林道バスに約1時間揺られ15時過ぎに北沢峠着。長衛荘で缶ビールを買って、キャンプ地の北沢駒仙小屋前のテン場に歩いた。新しい小屋に建て直しているので営業休止中と聞いていたが、仮設の小屋が建てられて生ビールも販売している。500円を払って幕営の手続きを済ませた。テントを設営、ビールを飲みながら雰囲気を楽しむ。19時には一切の営業が終了、電気も消える。辺りを暗闇が支配、10張りのテントが就寝に入った。標高が約2000メートルあるので夜半は寝袋でも寒い。未明に入り口から覗いてみると満天の星空。カメラ (XZ-1) を持って外に出た。ISO800で30秒露光。秋の銀河が撮れた。
真山仁の「ベイジン」上・下(幻灯舎文庫)を読了。<あらすじ>長年原子力発電所の建設に携わってきた田嶋伸悟は中国に新設される世界最大級の紅陽核電の技術顧問となって赴任する。折しも北京五輪を控えた中国首脳は開会式に紅陽核電の運転開始日を合わせ、原子の火がもたらす電力を北京に送電することを目論む。大連市党副書記で紅陽核電の中国側運開責任者である鄧学耕とはじめ対立するも、やがて友情に結ばれた二人は数多の困難を克服し晴れの日を迎える。しかし・・・。
小説では原発先進国日本からやって来た技師たちが、技術レベルも安全意識も低く管理も行き届かない中国人スタッフを叱咤し訓練する様子が描かれる。その安全意識の欠如がやがて事故を招来するのだが・・・。この作品は2008年7月東洋経済新報社より刊行、2010年4月に文庫本の初版発行となっている。作者は文庫版あとがきで中国に自国ブランドの原発を輸出する計画があるのを危惧しているが、当の日本で最悪の原発事故を起こしてしまったのは皮肉というほかない。長年原子力政策を推進しながら、安全神話にすがって危機意識が低かったのは東京電力など日本の電力会社の側だったのだ。
MTを5.04にしたのが昨年5月のこと。DBの復旧でトラブったのがトラウマとなってバージョンアップは控えていた。しかしいまやスマホ全盛でもあるし、スマートフォン・オプションも入れてみたい。公開中の最新版はVer.5.14だが、すでに5.2ベータが提供中で正式なリリースも近い。というわけで、冒険ではあるけれどベータ版をインストールしてみた。アプリケーションを更新した場合、設定も無条件で引き継いでくれれば楽勝なのだが。いつもながらMTのバージョンアップには泣かされる。同じディレクトリに入れたつもりだがStaticWebPathが通らない。直下にあるthemesとthemes-baseにあるCSSファイルが反映しないのでブログの見た目が崩れてしまった。パスを修正してやっと戻ったが、5.04と同じ設定ではなぜか微妙にずれる。ヘッダーなどのmarginを個別にしこしこ修正、やっと以前と変わらぬ感じに。これに結構時間を費やした。次いでLightboxが動作しない現象に直面。これはテンプレートのバックアップから復元。どうにか使えるようにはなったが・・・今度はコメントが保存できないという難題。コメント・プレビューまでは問題ないのに投稿ボタンを押しても「コメントありがとうございます。コメントは現在承認されるまで公開を保留されています。」といったままなしのつぶてなのだ。これは多分mt-comments.cgiに問題ありと睨んでチェックしてみるが解明できない。Web上を検索してもこんなトラブルはあまり見当たらない。あれこれ悩んで数日経過。改めて管理画面からログを参照してやっと見当がついた。ログに「コメントを保存できませんでした: keystroke failed 」という表示が並んでいる。プラグインに入れているkeystrokes.plが原因のようだ。システム画面のツール〜プラグインからMT-Keystrokesを無効にしてからブログを再構築。無事にコメントが保存された。といっても、このままではいけない。keystrokeはスパム対策で入れている重要なプラグインなのだ。keystroke関係で検索して詳細な設定の記事がヒット。それを読んでやっと思い出した。コメントとコメントプレビューの<form...>要素に<$MTKeystrokes$>を入れる。<textarea id=...>にonkeypress="keystrokes(this.form)"を追加。<input type="submit" accesskey="s" ....>にonclick="keystrokes(this.form)"を追加。以上の記述が必須だった。これがないからエラーが出ていたのだ。随分以前にやった設定なのですっかり忘れてしまっていた(汗)。MT5のドキュメントで(必要な作業)「バージョンアップの後にコメントプレビューを初期化する」という説明に従って初期化したままだとこうなる。記述を直して再度MT-Keystrokesを有効化。再構築してやっとブログ復活。「ふ〜」と溜息が洩れた。