東北沿岸の旅(5)

 三日目は志津川湾を左手に見ながら、国道398号線を海岸線に沿って車で走る。金比羅崎を過ぎ、北上川の流れを遡行する形で進む。新北上大橋を渡ると左に下った辺りに荒廃した校舎らしきものが見えてくる。ここは全校児童108人のうち、実に74人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校なのだ。悲劇を風化させないように供養塔が築かれ、三々五々人々が訪れて手を合わせていく。奥に進むと避難誘導の際問題となった山の斜面が見えた。地震の発生から津波の襲来まで51分あったことから、この斜面を登れば命を失うことはなかった筈だ。しかし、実際に見るとのしかかるような急斜面である。果たして低学年を含めて全生徒を登らせる決断が出来たかは分からない。当日は校長が不在で、また車で子どもを迎えに来る親もいたことから対応に窮してしまった面もある。結局約7メートル高い堤防道路に向かって避難を始めたのだが、直後に10メートルを越す津波に呑み込まれてしまった。校庭には卒業生が作ったのだろうか「雨ニモマケズ 風ニモ・・」という宮沢賢治の詩を書いたモニュメントが壊れた姿を晒しているのが痛ましい。斜面を背景に慰霊碑が作られ、その前には"Angel of Hope"と銘が刻まれた彫像が空を見上げていた。

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 大川小学校から直線距離で5キロ強の雄勝中央公園近くに「おがつ店こ屋街」という復興商店街があった。雄勝は硯やスレートの産地で、東京駅丸の内駅舎の復元工事にあたって、旧屋根材の産地が登米・雄勝だったことから引き取って復元作業中に被災、約2万枚を失ってしまった。しかし残りを屋根葺き職人や地元民、ボランティアなどの手で洗浄、復活させて15,000枚余りを出荷出来たという。フェスタ開催のこの日、工芸品の展示や制作体験会もあって賑やかだった。

雄勝から女川へのルートを辿る。三陸のリアス海岸は実に美しい。行く先々に湾が開け、そこには必ず港があって漁船が浮かんでいた。光線を反射してきらめく海と対比して、女川港の奥ではビルが横倒しになったままであった。女川から石巻市へ。石ノ森萬画館の横を通って市内の日和山公園へ。標高が56メートルあるため眺めがよく、旧北上川や石巻港を見渡すことが出来る。震災時にはここから中継映像が流れていた。展望台には震災前の写真パネルが設置され、流失後の街の様子と比較することが出来た。廃墟と化した工場脇の道路に船が放置されたままだったりする。

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