C.W.ニコル逝く

 「空から見ると、丘の上を行く人影が一つ。後ろの雪の上にまがりくねった足跡が続いている。その姿は果てしないツンドラ(永久凍土)の上では、ポツンとした、一つの黒点に過ぎず、雪に残した足跡は生きてうねる長い尾に似ている。若い男であった。十八歳、広い肩幅、青い瞳、イヌイット族のカリブー皮のパーカを着ているが、ズボンとブーツと眼鏡は白人のものであった。汗の滴が、若者の顔にかかる柔らかい金髪にこびりついて、白く凍っていた。太陽のまわりには氷晶による暈がかかり、幻日が三つ、暈の縁にキラキラ輝いている。春の日光を浴びても、雪のクラスト(雪殻)はまだ固く、その日、その日の温度の違いにつれて結晶の形が変わった。起伏するツンドラの丘をおおって、雪は冷たく光っていた。」

3日に亡くなった作家C.W.ニコル氏の代表作、『ティキシィ 』の第1章からの抜粋である。ニコルさんのファンであったから、かなりのショックだ。近年露出が少ないことを気にしていたが、直腸ガンであったという。死因もそれで、この時期だからひょっとすると新型コロナウイルスに感染かと早合点した。『ティキシィ 』はニコル氏の初の長編で、初出は角川書店の野生時代ではなかったかと記憶している。この小説は20年がかりで12回書き改められたそうだが、のちに開高健氏との対談の中で指摘されているように、シンプルでディープな文体が特徴的で、極北の自然に相応しいと思える。恩師のピーター・ドライヴァーの助手として数次の北極探検を経験していることがベースになっている。ニコル氏は1940年ウェールズ生まれ。カナダで漁業調査局の水産哺乳類技師となり、調査捕鯨を担当。1975年、沖縄海洋博のカナダ館副館長として来日するなど日本との関わりを強め、和歌山太地を拠点に江戸時代の日本の捕鯨をテーマとした『勇魚』を執筆。のち日本女性と結婚し、長野県黒姫山の麓に居を構えて以来の活躍は周知の通り。1995年、日本国籍を取得。2005年、日英関係の発展に寄与した功績で大英勲章を授与される。手を入れられることなく荒れる一方の日本の山林を憂慮、私財を投じて森林を購入し「アファンの森」と名付けて森の再生に情熱を傾けた。2016年には同地に行幸された明仁天皇と美智子皇后(当時)の案内役を務めている。著述の傍ら日本に愛を注いできた、自称赤鬼が天に召される時が来てしまった。嗚呼。

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