北陸を歩く①

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 永らく東京・上野と金沢とを結んで来た寝台特急「北陸」と急行「能登」が間もなく歴史を閉じる。その日、3月12日が近づくにつれ平常心を失い、胸を掻きむしられるような思いに襲われてしまった。「能登」には既に2回乗車。しかし「北陸」はたった一度しか乗っていない。これはやはりもう一度乗っておくべきかとの思いが嵩じて来た。それでJRのサイバーステーションで検索してみると、案の定土曜の上野発はすべて売り切れだった。日曜発はまだ幾らかあるようだがそれでは休みと合わない。せっかく金沢に行くならいろいろ行きたい処もある。上野を土曜深夜に発って、日曜早朝から金沢市内を歩き回れるのがウリだったのだが。仕方ないので、北陸の利用を帰路にしてみた。往路は越後湯沢からほくほく線経由だ。3月13日以降はこれが北陸〜東京間の基本的なルートになる。「北陸フリーきっぷ」を使うのは言うまでもない。このルートで行って金沢での自由時間を確保するには早朝、上越新幹線に乗らねばならない。それでも金沢着は昼頃になる。


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 2月末日。東京駅7時48分発の「Maxとき307号」に乗車。越後湯沢着が9時04分。接続する特急「はくたか4号」は9時14分発だから急がねばならない。今年は異例に雪の多い年だったが、2月も後半になると暖かい日が続き、降雪もなかったので平野部からは雪が消えた。しかし、越後湯沢から六日町にかけての山区間は名にし負う豪雪地帯だから、電柱も埋もれるほどの積雪がある。八海山の猛々しい山容も白く雪化粧していた。六日町で上越線と別れ、魚沼丘陵駅を過ぎると長大な「赤倉トンネル」に突入。ここから犀潟に至る北越急行区間はくびき駅あたりまで殆どの時間がトンネルの中。景色を楽しむ時間も僅かだ。直江津を過ぎると北陸本線区間で右手には日本海、富山湾が視界に入って来る。残念ながら指定が山側。しかも通路側だが窓側の席に誰も来ないのでそこに座っていた。海が見られないのは悔しいが、糸魚川駅で赤煉瓦積みの車庫が撮れるかも知れないと気付く(前回大糸線に乗った時は早朝で暗すぎてうまく撮れなかった)。それには進行方向左側であることが絶対条件。それでE-1に14-54の組み合せで狙っていた。駅に近づき、まずラッセル車を撮った。速度も落ちているし「よしよし、車庫も撮れる」とほくそ笑んで連写したが・・・何とE-1がフリーズ。メディアへの書き込みが終わらない。列車は駅を発って離れて行く。振り返ると何やら撮り鉄が大集合して車庫に並んだ3台のキハ52を狙っていた。キハは115に125、156と3車種勢揃いだ。こんなチャンスにフリーズするなんて!こんなことは初めて。メインスイッチでも電源が切れないので、止むなく電池を抜いて強制終了。しかし車庫を撮った分は失われていた。知らなかったが、この日は引退するキハ52に別れを告げるセレモニーの日だったのだ。知っていれば途中下車したよ!しかも煉瓦車庫も解体が予定されることから内部公開もされていたらしい。嗚呼。

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